いまだ沈黙の千鳥・大悟が語り続けた「志村さんの凄み」(引用元jprime)

Hisasi 2020/11/15 告発 コメント

 志村けんさんが亡くなったのは、2020年3月29日のことだった。入院からわずか9日。享年70。映画の初主演が予定されるなど、稀代のコメディアンが新たな舞台へと踏み出そうとしているタイミングだった。その死を悼みつつ、志村さんや彼を愛した人たちがテレビで近年語った言葉を振り返ってみたい。

 今回の訃報に際し、志村さんと親交があった多くの芸能人が、彼に関するエピソードを語った。よく聞かれたのは、 プライベートの志村さんはとてもシャイな人物だということだった。

 彼はあまり自身の“素”をテレビで見せなかった。理由のひとつには、恥ずかしさがあったのだろう。と同時に、コントを演じるにあたって邪魔になると考えたのだろう。ある対談で 「(志村さんは)苦しい部分とかつらい部分とかが想像できない」と言われると、彼は答えた。

「それを出しちゃうとダメ。プライベートを売ってる人もいるじゃないですか。トークでもなんでもね。プライベートをなるべく出さないようにする。普段、何やってるんだろう、って思わせてるほうがいい」(NHK総合『SWITCHインタビュー 達人達』2015年11月14日) 

笑わせるのではなく、笑われる

 自分は普段からあまり喋らない。でも、役に入ると大胆なこともできるような気がする、と。だから、テレビのお笑いの中心が芸人の“素”をさらけ出すロケやトーク中心のバラエティー番組に移行しても、彼の主戦場はずっとコント番組だった。

 その姿勢は、まさに“職人”と呼ぶにふさわしい。彼は繰り返し「名作を作りたい」と語っていた。

本人が“一番のお気に入り”と語っていた『ひとみ婆さん』

ひとみ婆さんが出てきただけで笑えると。で、この人がこうなってこうなって、もう次こうなるのわかってる、でも笑っちゃう。それは間とタイミングなんですよね。『待ってました』ってのが好きですね」(NHK総合『スタジオパークからこんにちは』2015年7月14日) 

 また、コントの職人としての志村さんは、自分の理想とする笑いを客に押し付けなかった。 客を“笑わせる”のではなく、客から“笑われる”。彼は常にそこに自身の立ち位置を求めた。自分の笑いは動きが7割、言葉が3割と志村さんはよく語ったが、それは、万人から“笑われる”ためには譲れない、信念とでも呼ぶべきものだったのだろう。

お子さまから年配の方まで、わかりやすい笑いが好きなんで。動きのほうが笑いとれるというか、笑ってくれるじゃないですか。そういう信念はあまり変わらないですね」(同前)

 だから、彼は舞台での客の拍手と笑い声の中に身を置き続けた。同時代の芸人たちと同じく舞台からその芸歴を始めた彼は、客の反応が聞こえる場所を、終始求めたのだった。

「舞台でやると、お客さんの反応と拍手と笑い声が、すごい自分の中の勇気と自信になってくるのね。やっててよかった、これでもう1年このままでいけるな、って思うわけ。間違ってなかったなと思うわけ、自分が」(NHK総合『SWITCHインタビュー 達人達』2015年11月14日)

バカ殿は上座に座らない

 そんな志村さんを、客は愛した。もちろん、客だけでなく同業者からも愛され、リスペクトされた。同時代を芸人として生きたビートたけしは、志村さんを「芸人そのもの」と呼び、 「俺はいろんなものに手出すけど、この人はコント一筋の人で。なかなかできないですよ」と評した(TBS系『新・情報7daysニュースキャスター』2020年4月11日)。 

後輩芸人の中でも、近年、志村さんと親交を深めていたのは、千鳥の大悟だった。ある時期から志村さんとお酒の席を共にし始めた彼は、番組の中でもたびたび志村さんの名前を出した。志村さんの番組にもレギュラー出演し、一緒にコントを演じていた。

 大悟は志村さんから何かを吸収しようとしたのだろう。そして、 志村さんは大悟に何かを伝えようとしたのだろう。大悟は私たちの知らない、あるいは忘れていた志村さんの姿をテレビで語り続けた。

たとえば――

『バカ殿』での志村さん

「殿様って絶対に上座に座るんよ。だからドラマでも映画でも殿様のシーンって絶対に殿様が上座に座る。ただ、 バカ殿はバカやから絶対に下座に座ります。1回バカ殿の席を上座にしとって、志村さんブチ切れたらしい」(関西テレビ『千鳥の「話の引き出し」』2018年12月29日)

「コントの屁の音って、リアルな屁の音になったのって志村さんからって。それまではラッパやったんですよ。 志村さんがリアルな屁の音に変えてからコントは屁の音になって、志村さん、家に屁の音、100種類もってる」(朝日放送『異端寺』2019年1月12日)

「こないだ志村さんにな、『アイ~ン間違えてるよ、大悟』って言われて。角度が全然違う。志村さんって、いかりやさんに向かっていつも(アイ~ンを)やってたから。 おっきい人にやってたから。威嚇だから。脇見せるっていうぐらいが、アイ~ン」(テレビ朝日系『テレビ千鳥』2019年6月10日)

 2人の関係を象徴するようなエピソードを、大悟が語ったことがある。志村さんと一緒に歩いていたときのこと。前を歩いていた志村さんが振り向いて、大悟にこう言ったという。

「振り向いて、お前がいるとうれしいんだよな」(テレビ朝日系『テレビ千鳥』2019年8月12日) 

 志村さんは大悟にとって、芸人としてずっと前を歩いている人だった。そんな志村さんが振り向いて、大悟が後ろにいることを喜んだ。芸人の世界に師匠と弟子の関係がなくなったといわれて久しい中、2人の間には引き継がれた芸人としての何かがあったのではないか――。そんなことを思わずにはいられない。

 子どものころ、志村さんはバカ殿の格好で「アイ~ン」と言い、変なおじさんの格好で踊っていた。思春期になり、見る側が志村さんの笑いを幼稚と感じ卒業しても、彼はそれを続けていた。大人になり、テレビを見る時間が少なくなっても、彼はどこかでコントをしていた。

私たちが振り向いたとき、そこには常に志村さんがいたのだ。彼はいつまでも動かなかった。舞台にこだわり、動きのある笑いにこだわり、コントを作り続けた。そして、ずっと“笑われ”続けた。

 新型コロナウイルスの影響で社会の状況が時々刻々と変化している中、私たちが失ったのはそんな不動点だった。


文・飲用てれび()

引用元:https://www.jprime.jp/articles/-/17690,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]

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