【涙腺崩壊】東日本大震災で9000人もの住民の命を救った娘。民宿を経営する幸せそうな夫婦の笑顔の裏に隠された悲しい記憶。

東日本大震災から10年

今年で東日本大震災から、10年が経ちました。

被災した方々は、この10年間をどのような思いで過ごしてきたのでしょうか。

今回は、ある夫婦を紹介します。

宮城県・南三陸町

宮城県の南三陸町には、遠藤清喜さんと妻の美恵子さんが自宅近くの高台に建てた小さな民宿があります。

「1日1組限定」で、2014年7月にオープンしました。

民宿の店名「未希の家」の由来には、とても悲しい理由がありました。

遠藤未希さん

当時24歳だった遠藤未希さんは、両親のそばにいられるように専門学校を卒業後は地元の町役場に就職したそうです。

そして、2010年に結婚して彼女の人生は順風満帆のように思えましたが、あの悲劇が彼女を襲ったのです。

2011年3月11日

2011年3月11日、東北地方に大きな地震が発生しました。

当時、危機管理課に所属していた未希さんは、住民たちに避難をさせるために防災無線で呼びかけました。

「津波が襲来しています。高台に避難してください。」

住民を助けたい!

未希さんは住民を避難させることに使命感を感じて、先輩だった課長補佐の三浦毅さんと必死に呼びかけました。

予想された津波の高さが6mから10mに引き上げられてもなお、この無線は止みませんでした。

このような状況でも、冷静な声で避難を呼びかける声。

後ろからは「未希ちゃん、上がって」と避難するよう促す声がかかります。

それでも最後まで、2人は住民に避難を呼びかけたのです。そして‥

町役場も津波の被害に

そして、未希さんたちがいた町役場も津波に流されてしまいました‥。

情報を一番早く知ることができた町役場で、自分のことを顧みず最期まで放送を続けた未希さんと上司の三浦さん。

その1ヶ月後

地震から1ヶ月ほど経過した4月23日、未希さんの遺体が志津川湾で発見されました。

未希さんと一緒に最後まで避難を呼びかけた三浦さんは、未だに発見されていないそうです。

この出来事によって‥

9000人以上の住民

南三陸町だけでも、700人を超える死者や行方不明者が出てしまいました。

ですが未希さんたちのように最期まで住民のことを思って行動した人々のおかげで、9000人以上もの人が無事避難できました。

未希さんの放送で

避難した方の中には、「未希さんの緊迫した声を聞いて避難を決意した」という人も多数いたそうです。

未希さんは、自分の命と引き換えにたくさんの命を救っていたのです。

娘とともに歩む

遠藤夫妻は、「悲しみは消えませんが、娘とともに歩む民宿で精一杯頑張っていきたい」と語り、民宿を訪れたゲストたちに津波の恐ろしさと「より高いところに逃げるように」とアドバイスをしているそうです。

生きることの大切さ

遠藤夫妻は、未希さんが身をもって教えてくれた「生きることの大切さ」を民宿を通して人々に伝えることで、未希さんのように被害にあう人が少しでも減れば‥と思いながら、毎日温かくゲストを迎えているそうです。

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